第63節
一粒万倍といおうが。一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。
『善い手本になるような信心』とはどんな信心を言うのであろうか。「信は光なり」信の光が心に点じられる。その光で自分の心の中の暗黒面がハッキリしてくる。そこから真の改まりがなされる。又その光は自分の周辺を明るく照らしてくる。いよいよ光は広く輝くようになる。その光に潤う者、数限りなく信心の喜びをたたえるであろう。まさしく一粒万倍ではある。 このような信心をさせて頂きたい。(昭46・7・14)
『手本になるような信心』とは、どんな苦しい時でも、神愛を思うたら有難涙がこぼれるような、どんな場合でも神にお礼が言えるような信心である。それが出来たら『一粒万倍』のおかげが受けられる。渋柿は皮をむかれてつるされて 白粉ふきつつ甘くなる哉
問題ハ皮をむかれるとき、つるされながら渋がぬけてゆくとき、神の心の奥がわかるとき。(昭52・7・15)
喜びの種子を播くと言う。自分では喜びの種子を播いたつもりの人が居る。それでも喜びの芽が出ないなら、喜びの種子が枯れておると、教えの頂き直しが必要だ。(昭57・7・23)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
