第59節
習うたことを忘れて、もどしても、師匠がどれだけ得をしたということはない。
覚えておって出世をし、あの人のおかげでこれだけ出世したと言えば、それで師匠も喜ぶ。おかげを落としては、神は喜ばぬ。おかげを受けてくれれば、神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃ。
マイホーム的なおかげでは、信心もおかげも落とし易い。落としては神さまは喜んで下さらん。生活のための信心だからである。信心のために生活のすべてがある、と悟らせて頂く信心こそ絶対の信心である。『神も喜び金光大神も喜び氏子も喜びぢゃ』という信心は、このような信心を言うのである。(昭46・7・10)
育つ働きと育てる働きが相まってゆく限り自他共に助かり、神も助かり氏子も立ち行くおかげが開けてくるはずなのに、どの辺から間違うのか『神も喜び金光大神も喜び氏子も喜びぢゃ』ということになっていない。
育てる者も育たねばならぬ。育てる者の深く反省せねばならぬところです。信者もおかげを受けることのみに終始せず、共に育たねばならぬ。
合楽で言う『五つの願い』が成就することは、神の願い、氏子の願いが成就することになる。(昭52・7・11)
家族勢を揃えて、どうでも願わねばならぬ事
五つの願い
一、体の丈夫
二、家庭の円満
三、子孫繁昌、家繁昌
四、真実の御用が出来ますように
五、神さまの願いが成就しますように、即ち和賀心時代を創ることの為の御用に役立たせて下さい。
「神様のおかげで今日の私がある」と悟った時から本当の信心が出来るのに・・。反対に、かえって後ろ足で砂をかけて行くような人もある。(昭57・7・19)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
