第56節
日にちさえたてば世間が広うなってゆく。ひそかにして信心はせよ。
「世間のうわさも七十五日」と言う。
じっと辛抱して行く内に自分を見極めてくる心もおこり、相すまぬ私、至らぬ私であることもわかってくる。ひそかにして信心することが、如何にしみじみとした有難い信味を味わい、信心辛抱の徳を身につける時であるかということがわかる。だまって喜んでおれバだまっておかげを下さる(昭46・7・7)
『世間が広うなって行く』と同時に自分の心を寛く大きくして行く事である。ひそかに信心の喜びの泉をつくることである。いたずらに、ただ日にちが経って忘れていくだけでハ、勿体ないことである。ひとりわが道をゆく(昭52・7・8)
例えば、むつや呉服店の場合、親が亡くなられたのは社長がまだ二十歳頃のことだった。また次々と難儀が続いた。不幸が続き、店の上にも、むつや騒動と言われる程の事件が持ち上がった。「もう、むつやは仕舞えた」という風評も立った。その中を日々のお取次を頂いた。親先生はいつの場合も「信司郎さん、大きくなることばい。豊かになることばい」。唯、この一言だった。
堪え難いところを神様にすがって堪えて来た。十数年後の今日のむつや呉服店の繁昌につながった。久富繁雄氏の場合も同じである。数十年の信心の中に、ただ良い事ばかりではなかった。さまざまな難儀な事も続いた。「地蔵の徳」と言われ、「土の信心に徹せよ」と教えられ、これに徹した。
いよいよ素直な信心も育った。親戚の者にも「金光様、金光様と逆上せておる」と言われた時代もあった。そこを土の心で受け抜かれ、今日の久富一家一門のおかげと繁昌がある。(昭57・7・16)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
