1. 和賀心教典

アイコン和賀心教典

第49節

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信心は相縁機縁。

お芝居でやるお半長右衛門にしても、相縁機縁である。お互い信心の上でもお半長右衛門的なものはないだろうか。

楽やご利益やお義理だけが縁のもとになっておったり、現世だけが金光さま、あの世ではお釈迦さまと言うのでは、笑えぬナンセンスも起こりかねない。「縁は異なもの味なもの」とも言う信心の縁は、どこまでも有難い、味なものに育たねばならぬ。異なものだけで終わってはならぬ。あの世この世を通しての金光さまでありたい。(昭45・7・31)

難儀が機縁を作り「おかげ」が相縁を生む。「袖すり合うも他生の縁」と言うなかに、親と呼ばれ子と呼ぶほどの深い縁はなけれども、その深い縁を袖にする親不孝、子不孝のものがある。

折角、親神様との縁を頂きながら、親子の縁を結びもせず、神をはなれるほど、神を悲しませることはない。教祖ハ『信心は親に孝行するも同じことぞや』と教え給う。(昭52・7・1)

不思議と縁をうけながら、妙賀(信心のよろこび)にもふれずに縁を切ってゆく人、富貴繁昌のもとにもなるおかげも、うけられるのである。おしいことである。悲しいことである。茗荷栄える蕗繁昌(昭57・7・9)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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