第48節
言うことを聞かぬ時に、ままよと思うてほっておくような気になって、信心してやれ。
わが子の病気でも、かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ。言うことを聞かぬ時に、ままよと思うてほっておくような気になって、信心してやれ。おかげが受けられる。
安心と慢心は紙一重。
『放っておくやうな気』と言うても、横着であってはならず、慢心では尚更いけぬ。医者でも、自分の子供の手術が出来るようになると一人前だと言われるように、メスをとる手に自信が出来るからである。信心も、子供の病気だけでなく、様々な難儀に直面した時、放っておくような気で信心することが出来たら、おかげになる。一心の信心修行が出来ている時は不思議な度胸が出来て、同じようなおかげが受けられる。本当は、わが子もなければひとの子もない境地が開ければ最高である。ここはもう、お徳をうけた者の世界である。(昭45・7・30)
『ままよと思うて放っておくやうな気になって』と言うことは、自分の欲や情を捨てた姿ですから、神さまに充分の働きが頂ける場を作るようなものです。その上『信心してやれ』とは、いよいよ信心を進めてゆけと言うことです。 四十八節とは、いつもがおかげのチャンスと言うふうに思います。常平生がこの気持ちにさせて頂くなら、間違いない御神徳がうけられます。(昭51・7・31)
三男幹三郎、肉腫の診断があった時、心は平常であった。「九十九パーセントだめ」とのことであった。「ままよ」の心の発露であろう。おかげで奇跡的なおかげをうけた。後で思うのに、もしこれが信者の子弟であったら、どうであったろうかと思う。我を殺して神を生かすか 神を殺して我を生かすか(昭57・7・8)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
