1. 和賀心教典

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第3節

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天地金乃神の申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受けおる。

この度、生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす。

親のふところにありながら親のふところにあることを知らず、不安焦燥の生活をなして居る状態は、天地金乃神として、又親として、みるにみかね給うところから、生神金光大神を差し向け、親子共々の繁栄、幸せを願われたものである。
その不幸の第一は、人間氏子の見当ちがい思いちがいの生活が其の原因をなしておると指摘し、メグリの根絶を願われたものである。どこに難儀のもとがあるかを知り、親のふところにある子供のような安心を頂かねばなりません。(昭和44年7月20日 朝の御理解を参照)

神人共に栄え行く道をここに初めて、『天地金乃神の申す事は』と、のっけから大音声に宣言されているように思います。天地の大恩恵を知らず、又どのような事が天地に対する御無礼になるか、難儀の元になっているかを知らず、其のわけを条理を尽くして説いてあります。即ち『神仏の宮寺氏子の家宅皆神の地所』又は『方角日柄ばかり見て』と、其のことだけでなく、人間の思いちがい考えちがいを指摘しながら、金光大神の理解を受け追求しつつ、神と人との理想郷実現を目指させています。(昭50・7・15)

『末々迄繁昌致す事』とありますおかげは、神と氏子の助かりにならねバなりません。天地との調和そして交流、そこからはじめて生みなされるおかげの世界が開かれます。即ち、神人共栄の世界です。究極、神の願いとされるところは、ここにあるのです。神の願いが氏子の上に成り、氏子の願いが神願成就に至る時、神人交流の歓喜の世界は開かれます。(昭55・7・25)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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