一、過ぎたることを思い出して腹立て苦をすなよ。
有難しを追求してゆくのが信心であってみれば、過ぎた事のすべてがおかげの素になっているはずであるのに、思い出しただけで腹が立つということがある。信心の根本をまちがえているからである。はずかしいことではある。甘木の安武松太郎先生は「われよしと思ふ心を仇として 戦ひて行け日毎夜ごとに」と教えておられるように、われよしと思う心が腹立ちの元になるのである。(昭44・6・23)
思い出しても腹が立つというようなことがあった。信心を頂くようになったら、あの事のおかげで信心をわからせて頂いた、力を受けたと其の事に御礼が言えるようになった。無念残念、苦しかったは昔の夢と消え失せた。信心のある者とない者の違いをしみじみと感じます。(昭49・7・19)
過去・現在・未来までも生かし生きることが信心ですから、すべてのことに御礼の言える信心を頂きたい。あれもおかげこれもおかげとわかるとき 無明の闇はいつしかに光明世界と変るなり 心眼を開きてみれバいまわしきこととて 今は神愛と悟りて真広の道ゆかん(昭54・7・29)
養素拝山 全てのことを信心の養素となし、全てのことに御礼の言えれる信心により、現在を喜び、未来をも楽しめる信心が出来てくる。(昭60・7・27)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
