1. 和賀心教典

アイコン和賀心教典

一、祈りてみかげのあるもなきもわが心なり。

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火の車 作る大工はなけれども 己が作りて 己がのるなり

何事も 素直心の一つにて 雲の上まで のぼる道あり

祈れども祈れども難儀は続く、じっと自らの心を見つめる。そこには楽になれない元がひそんでいた。われながら愕然とするほどのものが。そこから、あらたまりの信心生活がはじまる。久留米教会の初代石橋先生は「この世は徳の舟にのって渡れ」と教えられた。火の車も自分が作るなら、徳の舟も又自らの信心によって作ることが出来るのである。(昭44・7・11)

この御教えを神さまの側から言えば、おかげを授けるも授けぬも神の心次第ということになる。そこで私共としては神さまの心を悟り、神さまの御心に添い奉ることに専念するより他にないのである。授けたいと願われる神さま、授けて頂きたいと願う私共、その両者が相対したのである。おかげにならぬはずがない。もしもおかげにならぬなら両者の仲に何か障害があるのです。それを取り除くことです。(昭50・7・6)

『心一つで総てを創る』と私ハ頂いております。と言うことは、心一つで総てを壊すと言うことにもなります。『霊験のあるもなきも我心』とあるも、同一意義のものと思われます。「我心」言い「心ひとつ」と言うが霊験の受け得る心とはどういう心を言うのでしょうか。お参り、表行(火や水の行)から来るみがけではないようです。金光教的独自のおかげとは、家業の行にかけ、心行一つにしぼり、祈願し奉るところから生まれて来るおかげであって、はじめて本教的おかげと言うのではないでしょうか。(昭55・7・16)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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