一、信心する人は常に守りを心にかけておれよ。
心に安らぎがなく喜びがないなら、先ずハ守りをはずして居る時で、神さまが遠のいてござる時と思い、改まって願わねばならぬ。「神、吾と共にあり」とか「同行二人」ということを言うが、自分だけ其のつもりでおっても、つもりだけではいけない。要は、和賀心に影形のように神さまは寄り添うて下さるのである。(昭44・6・25)
金光大神御取次の働きの中、いわば御祈りの圏内にあるのだから、御守護の中にある実感をはずしてはならぬ。信心の喜びを常に持ちつづけることです。善導寺→勿体島→椛目→常持→合楽*私は善導寺の親教会で善いお導きを頂きました。そしてどんな難儀に出会っても勿体ない(勿体島)で受けていきました。すると、いつしか心に喜びの花(椛目)が咲きほこり、その頃から人が助かるようになりました。その信心の喜びを常に持ち続ける心が常持。そしてその向こうに合楽世界があります。(昭49・7・21)
大金を懐中しておるような気持ちでおれ。落としてはならぬ、掏られたり盗られてはならぬと思うて大事にする。心に神さまを頂き守れ、神さまが御守護下さる。神さまを頂き切っておる時、真心、愛の心がおのずと身についてくる。真善美輝く世界に住まんには 真愛のこころ行いおしむべからず(昭54・7・31)
電流がそこまで来ておっても電球の玉が緩んでおっては、灯りにならない。信心も金光様を頂いておるというだけでは真のおかげにつながらない。心に一心があって、初めて心に守りを懸けたことになる。(昭60・7・29)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
