一、わが子のかわいさを知りて神の氏子を守りくださることを悟れよ。
寝て居ても団扇のうごく親心
これが親の真情であります。寝ていても起きて居ても、神さまの御守護はつづくのです。その情を知るところからお道の信心ハはじまります。親の心に添うことを一生懸命につとめる人を孝行者と呼ぶように、神のおもいを悟り神のおもいに添うて行く人を、真の信者と申します。(昭44・6・27)
人間は神さまの子であるから、子の苦しむのを喜ぶ親はない道理です。最近、私がきびしく火や水の行、いわゆる苦行的修行を差し止めておるのも、神さまの心がわかればわかるほど、言わずにおれぬのです。神さまの願いは外にあるのです。神さまの氏子可愛いの切実なる一念を悟れよ、との御教えです。*昭和49・7・20より合楽では表行全廃される。(昭49・7・23)
幸福の原点とは、親の喜びを我が身の喜びと感じられる人にしてのみ、許されるものです。信心も親神の心を悟ってはじめて真の信心が出来ます。おかげ目当ての信心ハ神の心がわかっただけで悟れていない証拠です。すべてが、御事柄として受け止め御物としての頂き方からの実験から、悟りへの実証が生まれます。(昭55・7・2)
親が子を思う程の心で、子が又親に対する時、親子最高の交流が出来る。親となり子と呼ばれる程の深い縁はなけれども、神の思いに触れ、分かれば分かる程深い広い信心が出来る。おかげもそれに伴う。(昭60・7・31)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
