1. 和賀心教典

アイコン和賀心教典

一、神信心してみかげのあるを不思議とは言うまじきものぞ。

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信心はせぬでも世界中の氏子におかげはやってある、というのと、ここでいう霊験とは違います。霊験は頂こうという心になり、一心に実意にすがれば、不思議と思われるおかげが頂けます。缶詰があっても缶切りがなければ缶詰は宝の持ちぐされです。丁度、霊験は缶切りをかして頂く様なもので、缶詰があいても不思議ではないのです。ここでの霊験は私共が顕わして行くおかげです。(昭43・7・11)

私共ハ日々天地の大不思議の中に生活させて頂いております。夏があり冬があり、昼があり夜があり、天地の中にあることすべてが、私共の為にある大不思議であります。

今日、熊谷さんが昨日今日のことをお届けしておられます。或る人に電話をかけようと思うと、向こうからかかってきます。バスに乗り遅れたと思うと便乗させて頂く車が来ます。車に乗ると雨が降り出しました。こちらに着かせて頂きましたら、雨はあがっております。毎日のことながら、神様ハ私一人のためにうごいて下さってあるかのように、一分一厘の間違いのないお働きの中にあることが勿体ないと言われるのです。

信心させて頂くと、こういうおかげを体験させて頂きます。こういうおかげを小不思議と思います。ここのおかげを受けぬと大不思議が実感としてわかりません。(昭48・7・18)

神信心して不思議と思われる霊験が現われないなら、生きた宗教とは言えません。おかげをうけて私共の心も生き生きしてこなけれバ、次の真実のおかげ(神さまが下さろうとしておるおかげ)にふれることは出来ません。そこには真の道がわかり、真の人を目指し、神人合楽の世界に住むことが出来るのです。(昭53・7・28)

物を買い求めるにも百円の品なら百円を支払わなけれバ入手することは出来ぬ千円の品を五百円支払っても 求める品もわたされない(昭59・7・26)

金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは

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