一、生きても死にても天と地とはわが住みかと思えよ。
恵まれつづけて、はじめてわかるのがこの道の御教えである。道の信心により人生観がかわり、死生観までが有難いものになってくる。信心の究極のものはこれである。天地が此の世あの世を通しての住家と悟れる時、魂の歓喜が湧き、安心のおかげがそこにある。(昭43・6・30)
地獄も極楽も、根の国底の国も、天地の中より他にはあるまい。いずこにあっても神のふところ。又「地獄は一定の住家ぞかし」(親鸞の言葉)と悟れた時、安心が生まれるのである。いずれにせよ信心のよろこびだけは、もってゆきたいものである。その喜びは天の心、地の思いをさぐり、悟り、行の上にあらわすところから泉のようによろこびは湧きひろがってくるのである。(昭48・7・7)
人間ハ土より出て土に還るといわれる。故に、その道中とても又、土の性根を身につける生き方こそ、天地人一体となれる唯一無二の融合世界に住むことが出来る。天地の御守護の中にある実感も生まれる。(昭53・7・17)
霊肉共にお世話にならねばならぬ天地。自然環境の破壊。それは自分の家を壊すも同じ。(昭59・7・15)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
