一、幼少の時を忘れて親に不孝のこと。
道徳的な親孝行とは、大変違う場合がある。真実、親に喜んでもらうということ。次の金光四神様のお言葉をもって知れ。「親に孝行して神に不孝し、親に不孝しておる氏子がある。親に孝行して親に不孝し、そして後に親に孝行している氏子がある」(昭43・6・18)
月の砂漠をはろばろと旅の結駝が行きました前の鞍には王子様後の鞍にはお姫さま二人並んで行きました
小学生が歌う唄の歌詞です。なかなか詩的で情緒があるようですが、所詮は月の砂漠です。そこにあるものは、無味乾燥の世界があるのみです。精神の面にも形の上においても、大事にされておる親の存在をなくしては、豊かな家庭はあり得ません。若い者もやがては歳をとらねバなりません。手にたとえましても、親指は短く形もよくありませんが、親指なしには本当のものは掴めません。孝行をしたい時には親はなし(昭47・7・26)
「嫁姑の仲悪きは天地にも響く」とあります。孝心なくては良い信心は絶対に育ちません。親孝行ハ信心の根本ですから、子に慕われる親、親に信じられる子でありたいものです。(昭53・7・5)
平重盛は「孝ならんと欲すれば忠ならず、忠ならんと欲すれば孝ならず」とそのジレンマにおちたという。真の親孝行とはそんなものではない。お道の信心をもってすれば、孝にもなり忠にもなる、双方が立ち行く道が開けてくるものである。(昭59・7・3)
金光教祖の御教え183か条について、合楽教会初代教会長大坪総一郎 師が、その要諦・真髄を説かれたものを集録和賀心教典とは
