今日のご理解(2023年8月10日)
理Ⅱ・伝承者不明の伝え・23
信心する者は、山へ行って木の切り株に腰をおろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれ。
教会長のご理解
これは感性・感覚によることだと思います。お世話になりました、ありがとうございますと、腰をおろして休んだ切り株に、そんな感謝を言葉にするのも、まったくその人の感性・感覚によるものでしょう。
教祖の時代、少なくない外国人が日本を訪れては訪問記を著しました。そこでは異口同音に日本人を称えていました。治安の良さ、親切心、まじめさ、丁寧さにおいて。キリスト教宣教師などは、自分たちキリスト教徒よりも日本人の方がはるかに優れていると言い、主がどのような人々を創り給うたかを知りたければ、日本に来てみると良い、と言うほどでした。
それはどこから来ているかと言うと、保守的な人などはすぐに「武士道の精神」からだと言うかもしれません。確かに武士は町人たちから尊敬されている存在でした。ではなぜ武士が尊敬されていたのかというと、幼少期からの人間基礎教育が出来ていて、尊敬せざるを得ない人格・品格が備わっていたからです。そうして庶民もまたそれに感化されて、外国人が驚くような人々が平均的となったのです。
幼少期からの人間基礎教育。それは手習いによるものでした。五百年の歴史を持つ実語教・童子教といった教科書に基づく、人間のあるべき考え方や作法をみっちりと習うのです。単に文字を覚えるだけではない。人としての品格を磨く知識を幼少期から身に着けていくのです。
村の農民で手習いをされたのは唯一教祖様だけでしたから、以下のような御理解も出てきたのかも知れません。
「あの日乃大神様のことを、今は事がよう開けましたのう、機械ということになりました。機械にもせよ、よい機械でありますのう。この機械に明かりを見せてもらい、世話になれば、礼を言わねばなりません。(理Ⅰ・徳永健次の伝え・3)」
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
