今日のご理解(2023年7月19日)
理Ⅰ・近藤藤守の伝え・32
神様へ物を供えようとすると、子がそれをくれと言うたら、子に先にやればよいのう。子供が喜ぶ。子供が喜べば、神もお喜びになる。
教会長のご理解
伝えられた近藤藤守師が教祖さまのお広前に初めて参られたのは、明治十四年二月の事でした。ですから、この御理解は教祖御晩年の御理解ということになりましょう。
初めてこの御理解を頂きました時には、目から鱗でした。教会に生まれ育った私は子供の頃から、神様のお供え物に目をつけるな、と厳しく言われてきましたから。
どうも根本的に神様というお方を誤解させられていたようです。「子に先にやればよいのう。子供が喜ぶ。子供が喜べば、神もお喜びになる」などとは初めて聞く言葉でした。
神様と言えば、どちらかと言えば、怖い、厳しい神様、というイメージでした。今から48年前の本部学院生時代、毎日教祖様の奥城にお参りして御祈念していましたが、ある時、ふと、「だいたい、私の御祈念を神様は聞いて下さってあるだろうか。聞いておられるなら、お扉に音でも立てて下さい」と申しました。その瞬間、ドンッ!という大きな音がお扉にありました。もう、びっくりしまして、思わず後ろに飛び下がって、「あい、すみません。ご無礼な事を申し上げました」と申しました。
今から思うなら、まさに、恐れ入りました、というところです。教祖御理解には「一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである」とありますが、まったくそういうイメージではなく、ただもう恐れ多いだけの遠い存在としての神様を拝んでいるような感じでした。
どうも私共は根本的に考え違いをしてはいないでしょうか。神様を、怖いお方、恐ろしいお方、遠いお方と思い込んではいないかということです。「氏子の苦しみは神の苦しみ。氏子の喜びは神の喜び」と仰せられる、天地の親神様のそのお心をどれほどの思いで思っているだろうか、ということです。
次の二代金光四神様の御理解を味わいたいものです。
「家の内で子供を叱って泣かしておりますと、神の方では成敗の声に聞こえます。笑うて暮らしておりますと、高天の原に鈴の音に聞こえます。(金光四神言行資料集・九六)」
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
