今日のご理解(2023年5月31日)
理Ⅱ・福嶋儀兵衛の伝え・17
明治十二年卯の年の元旦を金光様のお広前で迎え、金光様にお年賀を申しあげ、お礼申しあげると、お書付(天地書附)を二十体お授けくださり、「おかげを受ける者がおいおいにできてくるであろう。信ある氏子に分けてあげよ。これは、言うまでもないが、守り札ではない。心の守りである。売り物ではないから、人がどのように言って来ても、銭金で受け渡しをしてはならない」と仰せられ、「真の信心をすれば、敵倍の徳が受けられる。人心を出すな。人心は人心だけのこと。神の守りをする者は、何事も神心でしなければならない。神心は神心だけのことがある」とご理解くださった。
教会長のご理解
人心、神心については、いつか頂きました。人心とは「本然の性でない心。私欲におおわれた心」、「神心」は「不幸せな者を見て、真にかわいい(かわいそう)の心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。(理Ⅲ・尋求教語録・168)」と。
その「人心」ですが、いわば私利私欲におおわれた心ということでしょうが、どこまでが私欲で、どこからがそうでないのか、ということでしょう。ここでは、下げられたお書付について、教祖さまは、「売り物ではないから、人がどのように言って来ても、銭金で受け渡しをしてはならない」と仰せられています。もしこれを、神社仏閣にあるように、お守り札として金銭で売るようなことになるなら、それこそが私利私欲ということになるのかもしれません。
もっとも、「欲」ということについては、過去の伝統宗教では極端なまでに罪悪視しているのではないだろうかと思われるところもあります。教祖様は、「人間、生きておる間は達者繁盛を願い、百姓が五穀成就を願い、商売人が商売繁盛を願うのは当たり前の欲じゃ。(理Ⅲ・尋求教語録・170)」と仰せられていますから、ここをすっきりと頂かねばならないでしょう。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
