今日のご理解(2023年5月8日)
理Ⅱ・難波なみの伝え・5
おかげを受けるのも受けないのも、わが心である。卯の年、よく考えてみよ。信心のしかたしだいである。
教会長のご理解
「おかげは、わが心にあり」とは、教祖さまが繰り返し仰られていたことです。また、神さまも、お知らせに、「わが心におかげはあり。(明治五年七月二十八日)」「おかげはわが心にあり。(明治六年二月十七日)」と仰せられています。そして同年三月十五日に「おかげは和賀心にあり」とはじめて「和賀心」という字をあてられたのでした。
なんと言いましょうか。神さまの御叡智というか、おなじ読みであって、そこに「わが心」の内容を「和らぎ、賀ぶ」として込められたのです。いわば心の理想境とでも申しましょうか、お道の信心信奉者はそういう心になれよ、ということでもあろうかと思います。
金光教の代表として教祖の後継をされた第一世管長の金光萩雄師は、和賀心について、自分たちがすでに天地の広大なる御神徳によって、人として生まれ出でた幸福を、深く信じ篤く尊びなさい、と教えておられます。いうならば、天地の御恩恵の中に人として誕生し、生かされて生きている自分の姿をとくと見れば、そこに、ありがたいことと、喜ぶのが普通であるということになりましょう。
さあ、ところが、人間、いつもかつもそういう心にはなれないのが、生身の肉体を持つ凡夫の私どもではないでしょうか。心配したり腹を立てたり落ち込んだりと、うれしい、ありがたい、ばかりではないのが正直私共の心ではないでしょうか。「喜怒哀楽」という様々な人間感情というものがありましょうから。私はいよいよ思うのです。ですから天地書附には、「生神金光大神 天地金乃神 一心に願え」と冒頭にあるのだと。さらには締めくくりにも、「今月今日でたのめい」とあるのだと。
いつか私は「和賀心は決心だよ」と頂いたことがあります。腹を立てないと決めたら、本当に腹を立てない決心をするのです。それはある意味、必死の決心なのです。まして、やわらぎ、よろこぶ、そういう心を目指すなら、本当に決心し続けることがいるのです。
で、それを自力でやろうと思っても、結局は無理なことだと分かりました。人間にはそんな能力は備わっていないようです。だったらどうすればよいのか。それはもう、ただただ神さまにおすがりするしかないのです。一心に願うしか道はないのです。頼みすがるしかないのです。
「天地金乃神様は人間の親様である。此方の信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである」(理Ⅱ・福嶋儀兵衛の伝え・2)」
とありますから、幼き童心にかえって、親にすがりついていくしかないのです。そうしますと、親はどうするでしょうか?わが子がそんなふうにすがってくるなら、やはり抱きかかえずにおれないでしょう。あまり大人びた姿勢で信心するのも考えものではないでしょうか。まして、自力でどうかしようというのは。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
