今日のご理解(2023年4月19日)
理Ⅱ・池田富助の伝え・1
明治六年か七年ごろ、はじめて参拝した時、「途中でつばを吐きたくなったり小便をしたくなったりすることがありますが、それはどういたしましょうか」と伺ったところ、
「『神様、ご免こうむります』と言って、せよ」
と教えてくださった。
教会長の御理解
教祖さまの御理解集を読ませていただきますと、「断り」という言葉がたくさん出てまいります。ここにあります、「神様、ご免こうむります」と先に断りを言うことです。例えば御理解に、
「丑寅未申鬼門金乃神大明神とあがめて断りを願えば、氏子の勝手のよい所へ普請作事をさせてやる。(理2・高橋富枝・4)」
とあり、また、「金神はむずかしい神ではない。実意にしさえすれば、金神はむずかしいことはない。方角が悪いというても、氏子がこうしなければなりませんからと、先に断りを言って何事もせよ。(理Ⅱ・池上タミの伝え・1)」
とある通りです。後の御神訓には、
「不浄のある時は先に断りおいて、願いあることをたのめよ。(理Ⅲ・神訓・2の34)」となりました。
考えてみますと、教祖さまの神さまへの交流の接点は、四十二歳の大患の時の、神さまへのお断りがきっかけになっているのですよね。神さまからとがめられた時に、教祖は何と仰せられたか。
「狭い家を大家に仕り、どの方角へご無礼仕り候、凡夫で相わからず。方角見てすんだとは私は思いません。以後無礼のところ、お断り申しあげ。」と。
すると神さまは、「戌の年(教祖のこと)はよい。よし。ここへ這い這いも出て来い。・・・其方は行き届き。」
と応えられるのでした。
神さまに先に断りを申し上げることが、そのまま実意であり丁寧であり行き届くことになりましょう。もちろん、次のようにも教祖は御理解されています。
「このお断りを申すにも、ただ、自分が叱られては困るということで、この神様を悪神のように思って願い出る者ばかりである。本当のお断りは、ご無礼をしては神様に相すまないということである。(理Ⅱ・津川治雄の伝え・15)」と。
つまりは、人としての真・真心を、神さまに向けて行く。それがお道の信心ということになりましょう。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
