今日のご理解(2023年8月15日)
理Ⅱ・津川治雄の伝え・10
信心するのに巧者がある。なぜかと言うと、朝から長く拝むばかりでおかげがいただけるとはいかない。千度祓とか万度祓とかは、いらないことである。たった一ぺんの心経でもよい。お祓をあげていても、入り口の障子があくと、だれが来たのであろうかと思うようなことでは、何にもならない。忙しい時には、ゆっくりと拝んでいることはできない。さあ降りだしたという時に、ゆっくり拝んでいては、干してある稲や麦がぬれてしまう。忙しい時には、今日は、こうこうでございますからと申して仕事に出て、麦を刈りながらでも肥をかけながらでも、清浄な心で拝めば、それで神様はお受け取りくださる。
ここへたびたび参って来なくてもよい。参って来ても、金をこれだけ使った、これだけあればあのことができたのにと思うようでは、神様にご心配をかけるようなものである。神様は親であるから、氏子が心配するのはかわいそうだと思われる。無理にたくさんの金を使って参らなくても、うちで信心しても守ってくださる。
教会長のご理解
教祖様の御理解には、こういった傾向の御理解が多いように思われます。無理のない自然な信心であることを感じます。津川さんは藩から苗字帯刀を許された人でしたから、当然のこと、学がありました。初めて教祖のもとに参拝して御理解を聞かれたときの感想を後に次のように語ってあります。
「お話は下手なりしも、御如才なく、少しも疑う余地もなき有り難き御講釈出で、なるほどと思い、世の流行神とは違うわいとて、それより信心を本気でする気になり・・・・(教典 人物誌)」と。
道理に基づくお話ばかりですから、「なるほどと思い、世の流行神とは違うわい」と思われたことでしょう。「それより信心を本気でする気になり」とありますように、後にはお取次の御用をされるようになり、教会も設立し、大勢の人々を救済する人となりました。晩年の人柄について、温和な容貌の徳者だったと伝わっています。
そして、「神様は親であるから、氏子が心配するのはかわいそうだと思われる」とありますが、親の心、子知らず、の信心ではいけないことを改めて思いますね。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
