今日のご理解(2023年8月4日)
理Ⅲ・尋求教語録・56
此方(片岡次郎四郎)がお参りすると、金光様はたいへんお喜びになって、
「才崎の金光は、いつ参ってもいつ参っても、お礼参りじゃ。参る者の大方はお願いに参るのに、その方は、いつもおかげを受けておるお礼に参って来る。神も満足に思うぞ。氏子がお礼に参って来ると、神も喜び、金光大神もいっそうにうれしいが、氏子もうれしかろうが。氏子がおかげを受けてうれしゅうに喜ばぬと、神も喜べぬ」
とおっしゃった。みんなもおかげを受けて、神様にも喜んでもらい、自分もうれしゅうにお礼参りのできる信心をせねばならぬぞ。
教会長のご理解
「氏子の苦しみは神の苦しみ。氏子の喜びは神の喜び」
という教えに通じるものです。
今日、たまたま合楽の初代親先生の御理解を頂いておりましたら、ある酒乱の方がお届けされるのに、自分が酒乱のために家族や周囲の人にたいへん迷惑を掛けており、それが心苦しくてならないと。それでいて酒を止めることも出来ないと。それでいよいよ苦しんでおります、という話でした。初代はそれに対して、「しっかり苦しみなさい。その苦しみの中に、気づくことや、分かる事が、たくさんあるのです。だから、そういう酒を断つという難しいことでもです、繰り返し繰り返しです、やっぱり失敗しながらでも、願い続けておるとです、すっきりするような、そういうおかげも頂けるんですよ、と。だから、そのことを真剣に悩まなければ、真剣に苦しまなければならない。そして、その苦しみを、悩みをです、有り難いものに、尊いものにまで高めていかなければいけない、と言うて、お話をしたことでした、と。
深いですね。お願いしたらすぐにおかげを頂いた、という話ではなく、そこに、考えねばならないことがあるのだと。分からねばならないことがあるのだと。それを見つけ出して取り組む内に、難儀が難儀ではなくなった、難儀が尊いものになってきた、というところまで、どうでも一つ本気でその気になり、本気でそれに取り組むならば、必ず、おかげになるのだと。
教祖さまは、「真で成就せぬことなし」と仰っしゃってます。「成就しない、その時は、氏子の真が欠けておると悟らなければならない」と。昨日の御理解で言えば、そこに神様の手紙が入ってはいませんか、ということですね。おかげを頂かねばなりません。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
