今日のご理解(2023年6月2日)
理Ⅲ・尋求教語録・40
「神信心をしておりながら、神をたばかり無礼粗末をすると、神は綱はつけぬけれども手足が動かぬようになるぞ。前々からの無礼粗末じゃというても、神一心に取りすがれば前々の無礼粗末はとがめぬぞ。しかし、神もお上も道理は同じことぞ。お上にでも永牢(ながろう)というのがあるし、大悪になれば縛り首になるようなもので、神においても同じことぞ。無礼粗末をすれば、一代難儀をせねばならぬ。無礼粗末が重なると七墓築かするぞ。直取りぞ。七墓築かされてからの信心は遅いぞ。永牢を仰せつけられるようになってから慎んだのでは、お上にもさっそくご免はないぞ」
と金光様は教えてくだされたが、ありがたいことではないか。今はこのことを心得てご信心するから、おかげがもらえる。人間のことであるから、難儀でもさせられぬと悪いところへ気がつかぬ。悪いことが出てくると、おかげをもらおうと思うて信心する。信心すると心が真になる。信心すると、もうご無礼お粗末をせぬようになる。これがありがたいのぞ。これがおかげのもとぞ。
教会長の御理解
お優しいばかりの天地の親神さまではない、こういう厳しい面ももっておられるということでしょう。また、確かに甘いばかりではないのが親でなければならないでしょう。人間、つけあがるというところがあります。驕りがましくなったり、天地に対する無礼粗末そのものを気づかなかったりと、とりわけ現代人は、無宗教であったり、無神論者であったりしますから、難儀を難儀と気づかぬまま、「人生ってこんなもの」ぐらいにしか思っていない面もありましょう。それこそ、難儀なことですね。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
