今日のご理解(2023年5月24日)
理Ⅲ・尋求教語録・168
寒い日であったが、お参りをしておると気の毒なおじいさんに遭うたので、あまりのことに着ていた物を脱いであげた。それからお参りすると、金光様が、「才崎金光(片岡次郎四郎)、今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」
とおっしゃったが、おかげを受けた者は、ありがたいことを知っておるはずじゃから、神様の心になって不幸せな者を助けてやらねばならぬ。
教会長のご理解
またの御理解にも、「人が人を助けるのが人間である。人間は、子供がこけておるのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちておるのを見て、すぐに引き上げてやられる。人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか。牛馬その他の獣は、わが子が水に落ちていても引き上げることはできん。人間が見ると、助けてやる。牛馬犬猫の痛い時に人間が介抱して助けてやることは、だれでもあろうがな。人間は病苦災難の時、神様や人間に助けてもらうのであるから、人の難儀な時を助けるのが人間であると心得て信心をしなさい。(理Ⅰ・山本定次郎の伝え・65)」とあります。片岡師のような親切を「乞食根性をつのらせるもの」と見る見方もありましょうが、それならそれでもよいと思うようになりました。親神さまからすれば、乞食根性であろうが、何であろうが、子供の難儀な姿を見て、冷たく当たる親はないようなもので、どちらにしろ、不憫なことである、かわいそうなものである、と思われることでしょう。中国地方一帯では、かわいそうである、不憫である、のを「かわいい」と言うのだそうです。方言ですね。(金光真整先生解説)
まして、泣き声などを聞くと、もう胸が痛くなるばかりでしょう。
「人間は万物の霊長であるから」と自分自身に言えるようなおかげを頂かねばなりません。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
