今日のご理解(2023年4月13日)
理Ⅰ・斎藤宗次郎の伝え・8
金光大神様(金光教教祖)は、
「百姓していた時は、取りかかる折りに、何をする時にも金乃大神様(天地金乃神様)に御願いあげ、これから牛を使わしてくだされと御願いあげ。また、いろいろの仕事をする時にも、一々御願いあげ。また、農業にかかると、まことに体を目に見えぬごとくにお使いくだされる。今たばこ(休憩)せいと教えくださる。それが、みな金光大神の口で言われるなり。
また仕事にかかりて、早く急げ急げと言われて、体をお使いくださる。今やめて帰れと教えくださると、すぐに帰れば、わがうちへ入るとすぐに大雨となり。そのほか何によらず万事、金乃大神様にお願いせよ。
また、金光大神が唐臼をひく時は、ただ一人ひくのに、まことに目に見えぬように唐臼が回るなり。今たばこせいと教えあれば、唐臼はちんとやみ、しばらくたばこすると、今ひけえと言えば、また回るなり。それでも息もはずまず。はじめからしまいまで、いかい(多く)ひく唐臼なり。まことに万事くり合わせいただき。
それも一つことじゃから、信心して金光大神のまねをする人は、みな、おかげを受けた受けたと言うて来てじゃ。萱野(地名)牛の年(斎藤宗次郎のこと)も信心しなされ。だれも一つことじゃ」
とご理解あり。
教会長ご理解
ある時、教祖宅の近所にお住まいの鈴木久蔵さんという方が、教祖様のまねをして、生麦を干さずに俵に収めたところ、たくさんの虫が湧いたことがありました。そのことを耳にした教祖様に神様は「仕事のまねはだれでもでき、心のまねができんから」と仰られたという記述が残されています。
さて、本日のご理解とその事と、どこがどう違うのでしょうか。
「信心して金光大神のまねをする人は、みな、おかげを受けた受けたと言うて来てじゃ」なのです。鈴木久蔵さんはこの神さまに信心はしてありませんでした。ただ教祖のされることの形のまねをしただけなのです。
「信心して金光大神のまねをする人は」なのです。信心が先なのです。だから「信心しなされ。だれも一つことじゃ」と仰せられるのです。それも、いちいちお願いあげ、と。何をするにも、いちいち神さまに先にお願いしてこられて、一事が万事におかげを受けてこられた教祖としては、皆がそうしたならば、助かるのに、と思われたことでしょう。
仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは
