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今日のご理解(2021年11月11日)

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金光教教典p785の38節です。
理Ⅲ・金光教祖御理解・38
垢離を取るというが、体の垢離を取るよりは、心のこりを取って信心せよ。

教会長ご理解 

 「垢離(こり)」とは広辞苑に「神仏に祈願するため、冷水を浴び身体のけがれを去って清浄にすること」とあります。文字通り「垢」を「離」すための行為が元来の意味なのです。ところが、それがいつのまにか、肉体を苦しめてそれを我慢することをもって修行とする、という意味に変わってしまいました。寒中に滝の水にうたれるといったことがそれです。いわば自ら苦しい目にあうことを求めるという、それは変態的行為と言ってもいいかもしれません。断食なんかもそうです。「食物は皆人の命の為に天地の神の造り給ひて与へ給ふもの也(神訓原文)」なのに、いわば親がご飯を作ったのに子供は食べないと言う。それを親の信用を得たいから、親から何々を頂きたいから、断食していると答えるとするなら、親の心を全く分からない困った氏子ということになりましょう。
 案外それに近いようなことをしている人があったりします。足が痛いのを我慢して正座し続けたりと。
 教祖さまは「神の教えの理解をして聞かせるから、遠方から参って来て、足が痛いのに、そのように座っていなくてもよい。寝ころぶとか、足を投げ出すとかして、よく話を耳に聞いて腹に持って帰れ。(理Ⅱ・藤原嘉蔵の伝え・1)」と御理解されてあります。
 あるいはまた、「何もかも捨ててとびこんでしまうような信心をしなさるな。こうして、麦飯の茶づけでも食べているような心持ちで信心しなさい。(理Ⅱ・相沢新造の伝え・2)」と。
 要するに教祖さまの場合、まったく次元が違うのです。過去の伝統的観念、慣習といったものから抜け出してあるのです。
 「断食をしたり、寒中に垢離を取ったり、好きな物を断ったりする者がある。津川さん、あなたもだんだん断っておられよう。しかし、そういうことはやめて、神様と約束を変えるがよい。そういうことは行ではない。迷いというものである。(理Ⅱ・津川治雄の伝え・13)」と。
 親の心が分からない、天地の親神様と分からない、つまりは迷うているから、無理な行為に及ぶのです。
 「心の凝りを取って信心せよ」と。つまりは、おかげの邪魔になる心の凝りを取れということです。「おかげはわが心にあり」なのですから。

仲原教会での御教え 金光教教典からの一節を取り上げ、解説をつける今日の指針今日のご理解とは

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